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大斎始日 灰の水曜日 二〇二五年三月五日 ▼ 説教——塵に宿る神の憐れみと復活の希望

  【教会暦】 大斎始日 灰の水曜日 二〇二五年三月五日 【聖書箇所】 旧約日課:ヨエル書 二章一〜二節、十二〜十七節 使徒書:コリントの信徒への手紙二 五章二十節〜六章十節 福音書:マタイによる福音書 六章一〜六節、十六〜二十一節 本文 序 灰の水曜日の静寂と問いかけ  皆様、主の平和が共にありますように。  静寂に包まれた礼拝堂の中、一人ひとりがゆっくりと歩み寄り、祭壇の前で額に灰の印を受ける。そのたびに司祭の声が響く。「あなたは塵であり、塵に帰るのです。」この言葉は、時を超え、世代を超えて、人類の根源的な真実を語り続けてきました。  今日、わたしたちは「灰の水曜日」を迎えています。この日、教会は静かに、しかし力強くわたしたちに語りかけます。「思い出しなさい。あなたが誰であり、どこから来て、どこへ向かうのかを。」大斎節の始まりを告げるこの日、わたしたちは神の前に立ち、限りある存在としての自分を見つめ直します。そして、灰の印を額に受けながら、心の奥深くに問いかけます。「私はどのように生きるべきか」と。  聖書の中で、灰を身にまとうことは、悔い改めの象徴とされてきました。ヨブは、自らの無力さを悟ったとき、灰の中に座り、神の前で自らを低くしました(ヨブ記42:6)。ニネベの人々は、神の裁きを告げられたとき、王から庶民に至るまで灰をかぶり、断食をし、真剣に悔い改めました(ヨナ書3:5-6)。灰は、単なる儀式的な行為ではなく、わたしたちが神の前でへりくだり、己の在り方を見つめ直すためのしるしなのです。  今日読まれるヨエル書の言葉が、まさにこの灰の水曜日の本質を突いています。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ。」(ヨエル2:12)神は、表面的な儀式ではなく、わたしたちの内側の深い部分が変えられることを求めておられます。悔い改めとは、単なる罪の告白ではありません。それは、向きを変えること。今まで歩んでいた方向から、神へと向き直ること。  パウロもまた、コリントの信徒への手紙二で強く語ります。「今こそ恵みの時、今こそ救いの日」(2コリント6:2)。悔い改めの機会を「いつか」ではなく、「今この時」に受け取ることの大切さを訴えます。わたしたちはしばしば、「落ち着いたら」「余裕ができたら」「今は忙しいから」と言い訳をして、神への応答を先延ばしにしてしまいます。しかし、神は待っ...

大斎節前主日 二〇二五年三月二日 ▼ 教会時論「悔い改めと和解の道——大斎節の光のもとで世界を読み解く」

 教会時論(2025年3月2日)  大斎節(Lent)は、キリスト教徒にとって悔い改めと霊的刷新を深める神聖な四十日間です。これはイエス・キリストの復活祭に備える時期であり、信徒は断食、祈り、慈善行為を通じて自らの罪を省み、神との関係を新たにします。  大斎始日である灰の水曜日には、額に灰で十字架が記され、「塵にすぎないお前は塵に返る」(創世記3:19)という言葉が告げられます。この象徴は人間の有限性と傲慢さへの警告であり、神に立ち返るようわたしたちを促すものです。典礼では「すべてのキリスト者は悔い改め、福音によって宣言される赦しを確信しなさい」と呼びかけられます。赦しは神の愛の極致であり、どれほど罪深い者であっても、キリストの十字架において悔い改める者には新しい命への道が開かれます。大斎節はその神秘に深く与るときなのです。 罪と赦し、和解のヴィジョンを世界へ  悔い改めとは、単なる自己批判ではありません。神の前に心を開き、自らの傷と他者への傷を見つめる勇気です。そして、そのうえで赦しと和解の希望を見出す信仰の応答でもあります。  イエス・キリストの十字架は、わたしたちの罪を贖う愛の行為でした。その赦しの経験こそが、他者を赦す力の根源です。これは個人間だけでなく、国際社会においても通じる真理ではないでしょうか。  例えば第二次世界大戦後のヨーロッパでは、かつて敵対していた国家が対話と共通の価値を見出すことにより、今日の欧州連合のような平和共同体を築き上げました。過去の敵が将来の友となる――それは歴史が証明する現実であり、また福音が示す希望でもあります。 ウクライナ戦争を大斎節の光で読む  現代の戦争の中でも、ロシアによるウクライナ侵攻はもっとも深刻な例の一つです。多くの市民が命を奪われ、憎しみと不信が社会を分断しています。このような状況で「赦し」や「和解」を語るのは極めて困難です。  しかし、キリスト教の信仰は、最も深い闇においてこそ、神の光を見出そうとする道を示します。ウクライナ東方カトリック教会のスビャトスラフ・シュフチューク大司教は、「神に赦された者だけが、赦す力を得る」と語ります。これは和解が信仰に根ざす行為であり、単なる寛容ではないことを明らかにします。  また、大司教は和解の前提として、真実の究明と正義の実現を強調します。加害者に対する法の裁き、...

大斎節前主日 二〇二五年三月二日 ▼ 大主教講話——大斎節への備えとして

主の平和が皆様と共にありますように。  本日は大斎節前主日です。来たる灰の水曜日(大斎始日)をもって、わたしたちは大斎節の厳かな歩みへと招かれます。この日、教会の礼拝では、額に灰のしるしを受ける「灰の式」が執り行われ、「塵にすぎないお前は塵に返る」(創世記3章19節)とのみ言葉が宣言されます。この灰は、悔い改めの象徴であり、わたしたちが神の前にへりくだり、主の憐れみによって新たにされるよう促すものです。  大斎節は、単なる自省の期間ではありません。これはキリストの十字架の受難を黙想し、復活の栄光へと備える信仰の旅路です。その始まりを迎えるに先立ち、わたしたちは今日、この大斎節前主日にあたり、心を整え、主の招きに応える備えを整えましょう。 大斎節の意義と悔い改め  大斎節(たいさいせつ)は、灰の水曜日から復活日までの約40日間、信仰者が悔い改めと霊的刷新に励むときです。「大斎」という語が示すように、この時期は伝統的に断食と節制をもって過ごすことが勧められてきました。  この40日という期間は、聖書においても象徴的な意味を持ちます。イスラエルの民が40年間荒野をさまよったこと、モーセがシナイ山で40日間祈り続けたこと、主イエスが公生涯の始めに荒れ野で40日間断食されたこと——いずれも神の御前における試練と準備の時でした。同様に、わたしたちもこの期間に自己を省み、神の御心に従う者へと整えられるのです。  悔い改めとは、単に過去の過ちを嘆くことではありません。「メタノイア」(μετάνοια)というギリシャ語が示すように、それは心の向きを根底から変え、古い自己を脱ぎ捨て、神の御心に生きる新たな歩みを始める決断です。大斎節の目的は、わたしたちを悲しませることではなく、神の赦しのうちに新しい命へと導くことにあります。わたしたちが主の恵みを信じて歩むとき、大斎節は悔いの季節ではなく、希望と刷新の道となるのです。 大斎節における三つの霊的実践  大斎節を豊かに過ごすために、教会は次の三つの霊的実践を勧めています。 (1)祈り  日々の祈りを深め、神との交わりを養いましょう。特に詩編や福音書の受難記事を黙想することは、主の歩みに心を合わせ、霊的成熟を促すものです。祈りの中でわたしたちは、神の沈黙にも声を聴き、御言葉のうちに導きを見いだします。 (2)節制  伝統的に、大斎節は食事の簡...

大斎節前主日 二〇二五年三月二日 ▼ 教会時論「日本学術会議改組—独立性の確保か、政府の統制強化か」他 ▼ 説教「変容の光に生きる――神の臨在と愛の実践」

 教会時論・説教(2025年3月2日) 主の平和が皆様と共にありますように。  早春の冷たさが残る日々ですが、時折差し込む陽光に、春の訪れを感じる頃となりました。皆様のご健康はいかがでしょうか。わたしたちはこうして神の御前に集い、共に祈り、御言葉に耳を傾ける恵みを与えられていることを心から感謝いたします。季節が移り変わる中で、わたしたちの心もまた、新たな歩みへと導かれていくことを感じます。  この日曜日を迎えるにあたり、わたしたちは教会暦の一つの転換点に立っています。大斎節前主日、すなわち灰の水曜日を目前に控えたこの日は、信仰の旅路において特別な意味を持つ時です。やがて訪れる大斎節は、悔い改めと霊的鍛錬の期間であり、主イエス・キリストが荒野で四十日間断食し、試練を受けられたことを覚える時です。この四十日間の歩みは、単なる伝統ではなく、わたしたちが神との関係を深め、自らを見つめ直すための霊的な旅路なのです。  この大斎節前主日は、その入り口に立ち、これから始まる信仰の旅を見据える日です。まるで山の頂から広大な景色を見渡すように、わたしたちはここで立ち止まり、来たるべき霊的な道程を静かに見つめる機会を与えられています。今日の福音書に記される「主の変容」の場面は、まさにその象徴です。イエスがペトロ、ヨハネ、ヤコブを伴い山に登り、栄光に輝かれる姿を弟子たちに示されたこの出来事は、わたしたちにとって深い示唆を与えます。神の栄光の輝きを仰ぎ見る時、わたしたちは同時に、その栄光が十字架の苦しみを経て現れるものであることを思い起こさねばなりません。信仰の道は、ただ喜びや栄光に満ちたものではなく、時には試練や困難を通してこそ、より深い意味を持つのです。  わたしたちもまた、この大斎節前主日にあたり、己の歩みを振り返る時を持ちたいと思います。わたしたちは今、どのような信仰の道を歩んでいるでしょうか。主の光に照らされる時、わたしたちは自らの弱さや過ちを見出し、それを悔い改める機会が与えられます。そして、その悔い改めこそが、主の愛と赦しの深さを知る恵みの時となるのです。大斎節とは、わたしたちが新たにされるための時であり、主の御前に立ち返る機会です。  今週、世界ではさまざまな出来事がありました。戦争の脅威はなお続き、政治の混乱や経済的不安が多くの人々の生活を揺るがしています。わたし...

顕現後第七主日 二〇二五年二月二三日 ▼ 教会時論「政府備蓄米の放出と食料安全保障の課題」他 ▼ 説教「赦しと愛に生きる」

  教会時論・説教(2025年2月23日) +主の平和がありますように。  皆様、本日もこうして共に集まり、聖書の言葉に耳を傾けることができる恵みに感謝いたします。二月も下旬を迎え、寒さの中にも春の兆しが感じられる頃となりました。朝晩の冷え込みが厳しい日が続きますが、皆様のご健康はいかがでしょうか。風邪やインフルエンザの流行も見られますので、どうぞお身体を大切になさってください。  本日は顕現後第七主日を迎えました。顕現節は、クリスマスに生まれた救い主イエス・キリストが、世界にその姿を現されたことを記念する時期です。イエスがユダヤだけでなく、異邦人にも救いをもたらす方であることを示すこの時期は、わたしたちにとっても、信仰の本質を問い直す機会となるでしょう。本日の聖書箇所に目を向けると、「赦し」と「愛」というテーマが浮かび上がります。ヨセフの兄弟への赦し、イエスの「敵を愛しなさい」という教え、パウロが語る復活の希望——これらはすべて、神の愛がどのようにわたしたちを生かし、導くかを示しています。  この一週間、世界ではさまざまな出来事がありました。アメリカではトランプ大統領の復帰後、国際援助の停止や監察官の一斉解任が進められ、民主主義の原則が揺らぐ状況が続いています。日本では、政府が核兵器禁止条約の締約国会議への不参加を決定し、被爆国としての責務について改めて問われています。また、コメの価格高騰が続き、生活に直結する食料問題が浮上しています。  これらの問題は決して遠い世界の出来事ではありません。わたしたちはどのようにこの現実に向き合い、信仰者として何ができるのでしょうか。本日の説教では、神の愛と赦しがどのようにわたしたちの日常生活に影響を与えるかを共に考えていきたいと思います。 ▼ 教会時論  わたしたちは日々、社会の動向と向き合い、その変容に応じて己の信念を問い直す時を持ちます。時に、社会の激動がわたしたちの心に深い影響を与え、これに対していかに向き合うべきかが問われます。本日は、目の前に広がる社会の現実を見つめ、その中でわたしたちが果たすべき役割について共に考えてみたいと思います。  この数週間、世界は大きな転換点を迎えています。米国では、トランプ政権が復帰して1カ月が経過し、対外援助の停止や監察官の一斉解任など、民主主義の原則を揺るがす動きが加速していま...
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