牧者雑記(2025年3月6日)
教会の中にも、そしてこの世界の至るところにも、右と左、偽善と露悪、あらゆるものが入り交じっている。まるで人の世に光と影があるように、その空間には矛盾と混乱が渦を巻いている。
だが、信仰者にとって本当に大切なのは、その入り組んだ現実を見極め、どちらの極端にも安易に与しないことだ。偽善を憎むあまり露悪へと傾けば、やがて自分を絶対的な正義と錯覚し、知らぬうちに別の欺瞞に取り込まれてしまう。逆に、露悪を嫌って偽善に染まれば、それはただ都合のいい「善」の仮面を被って、責任から逃げる行為にすぎない。
どちらも、本質的な誠実さから遠ざかっていく危うい道である。
だからこそ、わたしたちは流行や空気に流されることなく、自らの足で立ち、心の奥深くで真理を問い続ける素養を養わなければならない。沈黙の中で、祈りの中で、ほんとうの誠実とは何かを、見つめ続ける勇気を持ちたい。