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すべての隣人を愛し、共に歩む――LGBTQ+の兄弟姉妹とともに《自由と友愛の独立カトリック教会による宣言》

すべての隣人を愛し、共に歩む――LGBTQ+の兄弟姉妹とともに 《自由と友愛の独立カトリック教会による宣言》   自由と友愛の独立カトリック教会は、すべての人びとが神の像にかたどられた尊厳ある存在であるとの信仰に立ち、LGBTQ+の兄弟姉妹、特に長く黙殺されてきたトランスジェンダーの方々を、主にある聖なる交わりのうちに受け入れることを、福音に生きる教会の不可欠の使命として宣言する。  われらは、2025年1月20日に発令された米国大統領令第14168号――いわゆる「ジェンダー・イデオロギーの過激主義から女性たちを守り、連邦政府に生物学的な真実を取り戻す」と題された命令――を、制度的暴力であり、霊的否認であるものとして、主にある良心と信仰により明確に拒絶する。  さらにわれらは、同性婚をもまた、誠実と愛と責任に基づく契約として、主の祝福に値する信仰のかたちと認め、教会の中に包摂と和解とを生きることを祈りと行動をもって証し続ける。  主の義と憐れみに生きる聖なる教会として、いま、われらはこの信仰を高らかに告白する。

降誕日 大主教牧書《自由と友愛の独立カトリック教会》

愛する主にある皆さまへ  主の降誕を祝うこの聖なる日を、皆さまと共に迎えられますことを、心より感謝申し上げます。  いま世界の片隅で、またこの国の小さな教会のひとつひとつで、キリストの御名をたたえ、御降誕の喜びにあずかる祈りが捧げられています。この日は、まぎれもなく、神の愛が限りなく私たちに注がれた日であります。  御子イエス・キリストは、天の栄光を離れ、人間となられ、貧しさと弱さを担ってこの地にお生まれになりました。  「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネによる福音書1章14節)。  この神秘は、神が私たち一人ひとりの痛みを知り、喜びを共にされ、最も低きところにまで降りて来られたことの決定的な証です。  そして、それはすべての人の命と尊厳が、神にとってかけがえのないものであることを、揺るぎなく宣言する出来事でもあります。  この主の降誕の恵みの中で、私たちもまた、新たに召し出されています。いま世界は、戦争や暴力、貧困や孤独、分断や不正の暗闇に覆われています。  しかし、そのただ中に、御子は平和の主としておいでになりました。  「地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカによる福音書2章14節)との天使の歌声は、遠い昔の出来事ではなく、まさにこの時代に生きる私たちへの呼びかけであります。  愛は行動を伴うものです。隣人に寄り添い、苦しむ者と共に立つこと、貧しき者の声に耳を傾け、孤独な魂に光を灯すこと。  小さな行いのひとつひとつが、神の国の訪れを告げる種となるのです。  わたしたちは今、この降誕の愛に動かされて、平和の器、和解の道具として歩み出すよう招かれています。  どうか、このクリスマスにあたり、皆さまの上に、豊かな祝福と慰めが注がれますように。  そして、歩みの先に待つ新たな年が、希望に満ち、健やかでありますように、心よりお祈り申し上げます。  キリストの光が、皆さまの心に、家庭に、そしてこの社会に、変わらぬ輝きをもたらし続けますように。  主イエス・キリストの恵みと平和のうちに。  2024年12月25日 降誕日  自由と友愛の独立カトリック教会  大主教 佐藤俊介

同性婚法制化に関する声明――福岡高等裁判所判決を受けて《自由と友愛の独立カトリック教会》

同性婚法制化に関する声明――福岡高等裁判所判決を受けて(自由と友愛の独立カトリック教会による) ※副題(“福岡高等裁判所判決を受けて”)は、時事的背景と信仰的応答を結びつけるために添えています。  本声明は、2024年12月13日の福岡高裁判決を受け、同性婚法制化の信仰的・倫理的正当性を明確にし、これを強く支持するものである。  自由と友愛の独立カトリック教会は、憲法の精神、国際的先例、国内の政治的成熟をふまえ、同性婚を「神の愛と正義に根ざした祝福の契約」として受けとめる。すべての人の尊厳が守られ、神の像にかたどられた者として祝される社会の実現に向け、祈りと行動のうちに歩むことを誓う。

時間と才能を神への捧げものとして《自由と友愛の独立カトリック教会からのメッセージ》

物質的な献金ではなく、祈りと奉仕の心を  自由と友愛の独立カトリック教会は、いかなる形式でも金銭的献金を求めることなく、すべての信徒と来訪者に対して、祈りと奉仕による支援を呼びかけています。わたしたちは、この教会が単なる経済的維持の枠を超えて、霊的連帯と愛の実践に基づく共同体であることを大切にしています。  日々寄せられるご厚意と善意に対し、深い感謝とともに、主への祈りとわたしたちの奉仕をもってお応えしてまいります。 わたしたちが築く「与え合い」の共同体  この教会が目指すのは、物質的報酬ではなく、信仰と愛に根ざした「与え合い」の文化です。神は、わたしたち一人ひとりに異なる賜物――時間、才能、経験、祈りの力――を授けてくださいました。これらを「神への捧げもの」として、日々の暮らしと奉仕において生かすことこそ、真の信仰的応答と考えています。  こうした奉仕の精神は、聖書にも見いだされます。  「あなたがたの持っている賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。それは、神のさまざまな恵みの良い管理者としてふるまうためです。」(Ⅰペトロ4:10) 奉仕のかたちは、一つではありません  祈りをささげる人、歌で礼拝を豊かにする人、教会の掃除や整備に携わる人、地域の中で困難を抱える人に寄り添う人――どのような働きも、神の国をともに築くうえで欠かせない「聖なる奉仕」です。  そしてそれは、特別な技術や長時間の労力を要するものでなくて構いません。ほんの短い時間でも、自らに与えられた恵みに応えて歩む姿は、主の目に大いなるものとされるのです。 神への応答として歩む信仰の旅  わたしたちは、教会の「支え手」として、信徒一人ひとりを必要としています。そして同時に、奉仕を通じて、各人の信仰の歩みもまた豊かに彩られていきます。それは、主イエスがわたしたちに与えてくださった「互いに仕え合う愛」のわざに、今を生きるかたちで応答することにほかなりません。  どうか、あなたに与えられた時間と才能をもって、この教会の歩みに加わってください。小さな一歩でも、それは大きな祝福となります。  神の祝福が、あなたの生活と心の内に、そしてこの共同体の歩みの上に、豊かにありますように。 自由と友愛の独立カトリック教会

平和と正義のために祈り、歩む教会へ 《自由と友愛の独立カトリック教会大主教寄稿文》

見過ごせない現実と、信仰からの問いかけ  今の日本を見つめると、長いあいだ変わらぬ政治のかたちと、それに伴う新自由主義的な政策が、社会の隅々にまで深く根を下ろしているのを感じます。その結果、豊かさが一部に集中し、生活の不安や孤立感を抱える方が後を絶ちません。特に声を上げにくい立場にある人たちの苦しみは、表には出にくい分、いっそう深く、重く積み重なっているように思えます。  それでも、わたしたちは希望を捨てません。信仰は、ただ現実を嘆くためのものではないからです。むしろ、人間の限界や弱さを知りながら、それでも変わらぬ神の愛と正義を信じる――その確かさに、私たちは支えられています。 憲法第9条と、平和を生きる勇気  日本国憲法の第9条は、戦争の悲惨な記憶を受けとめ、「武力ではなく対話によって平和を築こう」と決意した国民の思いを、かたちにしたものです。この条文が語る理念は、国際社会の中でも特別な価値をもつ、貴い約束だと、わたしたちは受け止めています。  もちろん、今の世界は決して平穏ではありません。多くの国で安全保障への関心が高まり、「軍備強化」という言葉が当たり前のように語られています。しかし本当にそれだけが、わたしたちの選ぶべき道なのでしょうか。  イエスさまはこう教えてくださいました――  「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)  争わない選択をする勇気、対話をあきらめない忍耐。それこそが、神に呼ばれた民としての責任であり、日本が示せるもう一つの道なのではないでしょうか。 格差と向き合う信仰――尊厳ある暮らしのために  今の日本では、働いても報われないという声をよく聞きます。非正規雇用や孤立した老後の不安、都市と地方のあいだに広がる格差……。それはただの数字ではなく、日々を生きる人たちの痛みの現れです。  イエスさまは言われました――  「飢えていたとき、あなたたちは食べ物を与えた」(マタイ25:35)  目の前の苦しみに気づかぬふりをすることは、キリスト者として見過ごせない態度です。富や機会は、神がすべての人に与えてくださった恵みであるならば、それを分かち合い、支え合う社会を築くことこそ、信仰に生きる道だと思うのです。 地球と共に生きる――神の創造を守る責任  自然の恵みの中で生きているわたしたちは、地球を「自分たちのも...
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