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すべての隣人を愛し、共に歩む――LGBTQ+の兄弟姉妹とともに《自由と友愛の独立カトリック教会による宣言》

すべての隣人を愛し、共に歩む――LGBTQ+の兄弟姉妹とともに 《自由と友愛の独立カトリック教会による宣言》   自由と友愛の独立カトリック教会は、すべての人びとが神の像にかたどられた尊厳ある存在であるとの信仰に立ち、LGBTQ+の兄弟姉妹、特に長く黙殺されてきたトランスジェンダーの方々を、主にある聖なる交わりのうちに受け入れることを、福音に生きる教会の不可欠の使命として宣言する。  われらは、2025年1月20日に発令された米国大統領令第14168号――いわゆる「ジェンダー・イデオロギーの過激主義から女性たちを守り、連邦政府に生物学的な真実を取り戻す」と題された命令――を、制度的暴力であり、霊的否認であるものとして、主にある良心と信仰により明確に拒絶する。  さらにわれらは、同性婚をもまた、誠実と愛と責任に基づく契約として、主の祝福に値する信仰のかたちと認め、教会の中に包摂と和解とを生きることを祈りと行動をもって証し続ける。  主の義と憐れみに生きる聖なる教会として、いま、われらはこの信仰を高らかに告白する。

同性婚法制化に関する声明――福岡高等裁判所判決を受けて《自由と友愛の独立カトリック教会》

同性婚法制化に関する声明――福岡高等裁判所判決を受けて(自由と友愛の独立カトリック教会による) ※副題(“福岡高等裁判所判決を受けて”)は、時事的背景と信仰的応答を結びつけるために添えています。  本声明は、2024年12月13日の福岡高裁判決を受け、同性婚法制化の信仰的・倫理的正当性を明確にし、これを強く支持するものである。  自由と友愛の独立カトリック教会は、憲法の精神、国際的先例、国内の政治的成熟をふまえ、同性婚を「神の愛と正義に根ざした祝福の契約」として受けとめる。すべての人の尊厳が守られ、神の像にかたどられた者として祝される社会の実現に向け、祈りと行動のうちに歩むことを誓う。

平和と正義のために祈り、歩む教会へ 《自由と友愛の独立カトリック教会大主教寄稿文》

見過ごせない現実と、信仰からの問いかけ  今の日本を見つめると、長いあいだ変わらぬ政治のかたちと、それに伴う新自由主義的な政策が、社会の隅々にまで深く根を下ろしているのを感じます。その結果、豊かさが一部に集中し、生活の不安や孤立感を抱える方が後を絶ちません。特に声を上げにくい立場にある人たちの苦しみは、表には出にくい分、いっそう深く、重く積み重なっているように思えます。  それでも、わたしたちは希望を捨てません。信仰は、ただ現実を嘆くためのものではないからです。むしろ、人間の限界や弱さを知りながら、それでも変わらぬ神の愛と正義を信じる――その確かさに、私たちは支えられています。 憲法第9条と、平和を生きる勇気  日本国憲法の第9条は、戦争の悲惨な記憶を受けとめ、「武力ではなく対話によって平和を築こう」と決意した国民の思いを、かたちにしたものです。この条文が語る理念は、国際社会の中でも特別な価値をもつ、貴い約束だと、わたしたちは受け止めています。  もちろん、今の世界は決して平穏ではありません。多くの国で安全保障への関心が高まり、「軍備強化」という言葉が当たり前のように語られています。しかし本当にそれだけが、わたしたちの選ぶべき道なのでしょうか。  イエスさまはこう教えてくださいました――  「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)  争わない選択をする勇気、対話をあきらめない忍耐。それこそが、神に呼ばれた民としての責任であり、日本が示せるもう一つの道なのではないでしょうか。 格差と向き合う信仰――尊厳ある暮らしのために  今の日本では、働いても報われないという声をよく聞きます。非正規雇用や孤立した老後の不安、都市と地方のあいだに広がる格差……。それはただの数字ではなく、日々を生きる人たちの痛みの現れです。  イエスさまは言われました――  「飢えていたとき、あなたたちは食べ物を与えた」(マタイ25:35)  目の前の苦しみに気づかぬふりをすることは、キリスト者として見過ごせない態度です。富や機会は、神がすべての人に与えてくださった恵みであるならば、それを分かち合い、支え合う社会を築くことこそ、信仰に生きる道だと思うのです。 地球と共に生きる――神の創造を守る責任  自然の恵みの中で生きているわたしたちは、地球を「自分たちのも...
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